その著書である「はらだしき村」から抜粋。
「美しい日本」とは何か?
(中略)
「大戦前の話です・・・」
演壇の上の博士はそう言って、しばらく遠い目をした。
「私は大学の留学生として、京都に下宿していました。当時は、夏になるとどの家も玄関先に打ち水をして涼をえたりしておりました。
日本は、のどかでした。
或る晩のことです。十五夜で、それはそれは月のきれいな晩でした。私は大学からの帰り途、その月を見上げて惚れ惚れしながら京都の町を歩いていました」
その時ふと、若きD・キーン博士は思ったのだそうだ。こんなきれいな月の光に照らされた、竜安寺の石庭はさぞ美しかろう——ぜひ見てみたい。そう思うと矢も楯もたまらず、博士はその足で竜安寺へと向かった。当時、京都の寺といえばいずこも終日門が開いていて、人の出入りも自由だったという。
「私は竜安寺の門をくぐって本殿に入り、あの有名な石庭を前にした縁側に座り込みました。月光に照らされた石庭の美しさ——私はしばらく身動きができませんでした。三十分、いえ小一時間ほども私はぼんやりと庭を眺めていました・・・」
(中略)
「もう十分すぎるほど石庭に見惚れた後です。ふと傍らへ目をやると同時に私は驚きました。いつのまにか私の側に、一杯のお茶が置いてあったのです。誰が?いつのまに?どうして?
想像するしかないのですが、おそらくお寺の誰かだったのでしょう。外国人の若い学生が石庭に見惚れているのを見て、邪魔をしないように、そうっとお茶を置いていってくれたのです。私はとても感激しました」
こんなもてなし方ができる民族は、世界中で日本人だけだ、と博士は思ったそうである。
「そして、だからこそ私は日本のことが大好きになりました」
博士はそう言って話を結んだ。私はこの話に深い感銘をうけた。そしてしばらくの間、「美しい日本」について考えを巡らした。
その晩、D・キーン博士が目にした月明かりの石庭は、さぞやきれいだったろう。しかしただきれいなだけでは「美しい日本」とは呼べない。知らぬまに傍らに置かれていた一杯のお茶——その精神が添えられてこそ、「美しい日本」は成立するのだ。
本当に美しいものは、目には見えない。だから失ってしまい易くもある。そんなふうに私は思うのだが。
私もこの話に感銘をうけました。
ただそれだけ。
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